サンタ業務遂行に関する覚書

本覚書(以下「本宣言」という)は、サンタクロースという文化的慣習を尊重し、子どもの成長過程における想像力と喜びを大切にする目的のもと、甲が自らの意思により、一定期間サンタとしての役割を担うことをここに宣言するものである。

第1条(趣旨)

本宣言は、世界各地で共有されているサンタクロースという物語的・文化的存在の営みに敬意を払いながら、家庭内においてその役割の一部を引き受け、子どもが迎える毎年の十二月を、より豊かな時間とすることを目的とする。

第2条(役割の引受)

甲は、外部からの委託・依頼の有無にかかわらず、自らの自由意思に基づき、サンタとしての役割を引き受けるものとする。

この役割は、誰かになりすます行為ではなく、文化として継承されてきた役割を、一時的に担う行為であると位置づけられる。

第3条(サンタ資格に対する敬意および研鑽)

甲は、サンタクロースとして世界各地で活動している、または活動している可能性のある存在が、極めて高い倫理性、技能、資質および覚悟を備えた者であることを認識する。

甲は、本宣言に基づく役割の遂行をもって、自らが真のサンタクロースであると主張するものではなく、その資格を安易に名乗ることを厳に慎む。

また甲は、サンタクロースという存在に対する敬意を失わぬよう、自らの在り方を省み、必要な研鑽を怠らないものとする。

第4条(業務内容)

甲が担う業務内容は、以下のとおりとする。

(1)子どもへの贈り物の選定

(2)贈り物の調達、保管および配送

(3)上記に付随する準備行為

(4)子どもの想像力および信頼関係を損なわぬよう配慮すること

第5条(費用等の負担)

前条に定める業務に要する費用、時間および労力は、すべて甲が自らの責任と判断において負担するものとする。

第6条(対価)

本業務に対する対価は金銭その他の財産的給付ではなく、業務遂行の結果として子どもが見せる笑顔、驚き、喜びの表情をもってこれに代えるものとする。

甲は、この対価をもって十分であり、かつ望ましいものと認識する。

第7条(効力の発生)

本宣言は、子どもが迎える最初の十二月一日より効力を生じるものとする。

第8条(開示の条件)

甲は、子どもがサンタクロースの存在について、真剣かつ誠実に問いを向けた瞬間に、本宣言および本業務の内容について、年齢および理解度に応じて説明し、開示するものとする。

この開示は、欺瞞の解消ではなく、物語を共に担ってきた事実の共有として行われるものとする。

第9条(年次検討義務)

甲は、毎年十二月を迎えるにあたり、少なくとも年に一度、自らが真のサンタクロースを目指す資格および覚悟を備えているかについて、真剣に検討するものとする。

この検討には、以下を含むが、これらに限られない。

(1)子どもおよび他者に対する無条件の善意

(2)秘密を守り続ける誠実さ

(3)世界規模での行動を想定しうる想像力

(4)身体的・精神的条件を含む、サンタとして要求される諸要件

(5)それでもなお名乗ることをためらう謙虚さ

第10条(到達不能性の確認)

前条の検討の結果、甲が真のサンタクロースの要件を満たさないと判断した場合においても、本宣言に基づく役割の遂行が否定されるものではない。

甲は、その到達困難性、あるいはおそらくは到達不能であるという事実そのものが、真のサンタクロースの威厳を形成していることを確認し、これに深い敬意を払うものとする。

第11条(実在するサンタとの関係)

本宣言は、実在するいかなるサンタクロースの活動、思想、存在可能性を否定または妨げるものではない。

甲が担う役割は、あくまで家庭内における補助的かつ限定的なものであり、世界のどこかで行われているかもしれないサンタの活動と両立するものである。

第12条(位置づけ)

本宣言は、法的な契約の成立や権利義務の発生を目的とするものではなく、甲自身の行動を律するための自己宣言的文書として作成されるものである。

以上のとおり、甲は本宣言の趣旨を理解し、自らの意思に基づき、これをここに記す。

年月日:____年__月__日

甲(署名):____________

ノートに書けない学ビゲーション

 この投稿は、SpotifyのPodcast『Life’s like the street』で配信したエピソードをもとに再構成したものです。お時間がある方は、ぜひ本編もお楽しみください。

仕事の中の学び方

 仕事をしていると、知識やスキルの習得が、だいたい失敗から始まっているな、と感じることがある。

 やってみて、できなくて。できなかった理由を人から指摘されたり、自分で振り返ったりして。で、またやってみると、少しずつできるようになっていく。その繰り返し。

 もちろんマニュアルを読んで理解できることもあるけれど、結局のところ、実際に手を動かしてみないとわからないことが多い。机上の理解より、腹落ちするタイプの理解。そこに“学びの実感”がある気がする。

 この学び方には、「経験学習モデル」という名前がついているらしい。これは心理学者のデイビッド・コルブが提唱したもので、

経験→省察→概念化→実践

というサイクルを回すことで、人は成長していくという考え方だ。例えば、

経験:仕事で任されたプレゼンがうまくいかなかった。
省察・概念化:自分の振る舞いを振り返り、なぜ伝わらなかったのかを考える。
実践:次の機会に、改善点を意識してやってみる。

というように、一つひとつの経験を糧にしていく。これが経験学習のサイクルなのだそうだ。

 よくよく考えてみると、このサイクルは、仕事に限らず、趣味や暮らしの営みの中にもあふれているように思える。
 料理でも、子育てでも、最初はうまくいかないことが多い(自分だけ?違うよね…)。でも、失敗した理由を探って、工夫を考える。それをやってみて、また考える。ほら、なんとなくサイクルっぽく見えてきたでしょ?笑
 つまり、生活そのものが経験学習のフィールドになっているのだ。「できない」から始まる成長の物語とでも言えばいいだろうか。そんな経験学習の物語はすぐそこにあって、誰にでも開かれているのだろう。

○いつも、ここから、自分から学ぶために

 僕らの世代が学校で習ってきた「学び」は、経験学習とはちょっと違うスタイルだった記憶がある。
 どちらかというと「知識を先に覚えて、あとで使う」タイプの学び。黒板を写して、テストで問われる。ノートにきれいにまとまっていれば、なんとなく理解した気になれる——そんな学び方である。それはそれで自分には合っていたのだけど。

 最近は、公立の学校でもアクティブラーニングが導入されて、子どもたちが「経験を通して学ぶ」ことも少しずつ一般化してきているようだ。

 ただ一方で、先生たちの負担は大きくなっている。これまでの学びと比べた時の評価の難しさ、授業準備の時間、そして「学びの場をどう広げるか」などといった課題があるからだ。

 先ほども言ったように、経験学習の舞台は、学校だけではなく、家庭や地域にもある。子どもが家で料理を手伝う、地域の行事に関わる、そんな日常の中にこそ経験学習の種がたくさんあるのだ。
 そして、そうであるなら、そのフィールドで学びの担い手となるのは、そこにいる家族や地域の大人であると考えるのが自然だけど…現実には、その機能の多くを学校が担わざるをえない状況がある。
 それは先生たちにとってはやりがいなのかもしれないけれど、やっぱり大変なのだろうな、と感じる。

 だからこそ、というわけではないけれど、僕は、自分自身が「経験学習を支える大人」でありたいと思っている。子どもたちに「失敗しても大丈夫!」「そこから考えよう〜」と伝えられる存在。かっこいいよね。笑

 そして、自分自身も、日々の仕事や暮らしを学びに変えられる人でいたい。経験学習は、特別な才能や教材がなくてもできる、「誰にでも開かれた学び方」なのだから。

 子どもたちの前で大人が、日常の中にある学びへ向かう姿を見せること——それが、ノートには書けない、でも確かに残る授業になるかもしれない。

実験

いろんなことに手を出してみては、
結局戻ってくる、このブログ。

最近では、Podcastにばかり精を出していて
なかなか書き物に気持ちが向かないのですが、

ふと思いついた。

Podcastでしゃべったことをそのまま書けばいいじゃん。

ということで、あちらをベースに、こちらは読む用として、しばらく機能させてみたいと思います。
多分面白いんじゃないかなと思う。

これも実験。
思えば僕の人生は壮大な実験だという感覚がある。
これからも、どうぞよろしくお付き合い。

ゾロ目りそうだった。

いろんなことがあった年でした。
気がつけば、社会人の皮を被った学生になっていたり
終のすみかとなりそうな建造物に引っ越していたり。

余裕がないか、と言われるとそうでもないのだけれど、
このブログの更新頻度が示しているように(笑)、
文章を書く力は、勉強に全振りしてましたごめん若干Twitterにも振ってました。

ライフスタイルの大きな変化は、
それこそ周りの人にも影響を及ぼすわけでして。
僕の場合、職場の人や家族の理解がなかったら、
絶対にやっていけなかったのだけど、それを返すまとまった時間もないわけで。
じゃあ今やっていることのリターンが返せる?結果で返すにはまだ時間が必要だ、ほらまた時間。
いや、そもそも誰もやったことがない人生だ。
分かってもらおうとすることがいかんのだ

とかなんとか思っとりましたけれども。

なんか今年最後のお風呂が気持ち良かったから、
ぜーんぶどうでもいい。笑

今年もいい年でした。
来年ももっといい年になるよ。
ほぼゾロ目だし。2022。

お礼はしっかり伝えます。
今年、関わった全ての方々へ、

めっちゃめっちゃ、ありがとうございました!

お蕎麦食べま〜す。今年は鴨せいろ。笑

春、過ぎて

仕事柄、毎年春をゆっくりと味わうことが少ない。

気がつくと、置いていかれている、せかせかした季節

それが僕にとっての春。

今年の春は、特に足の速いスプリンターで、

まるで今年日本でオリンピックが開催されるかのように、
100mを9秒台で駆け抜けていった。

(なぜ今年の春が9秒台の速さだったのかについては、こちらの記事から察してください。笑)

知らないうちにブログの書式も変更されていて、

僕は今、すごく辿々しい様子でこの記事を書いている。

春すぎて、夏来にけらし(、蝉うるさい)。

またちょっとずつ演奏の機会も増えてきましたね。
今週末、というか明日はこれ。

僕は、16:40~17:05の時間、
シンガーソングライターの久保田 有貴さんのサポートで出演させていただきます。

場所はオアシス21の特設ステージ。広々としてて聞くのも弾くのも気持ちいいとこ。
お時間ある方はぜひお越しくださいね。

さて、

ここ数ヶ月、全く記事を書いていなかったので、インプットが飽和状態です。

学校事務のお仕事のこと、家族や子育てのこと、音楽活動のこと、大学院での勉強のこと。。。
いやちょっと待って、いろんなことに足突っ込みすぎとらん?

こんなブログですが、ありがたいことに日々チェックしてくださっている方もいらっしゃるみたいなので、また少しずつ、書き連ねていければと思っています。

皆さんは、どんな話が聞きたいですか?

それでは今日はこの辺で。

三文っていくら?

譜面を書いたり、個人練習をしたり、

「独りで」対象と向き合う時間が何かと多いのが、音楽の特徴かもしれないですね。

ここ数年、僕のそんな時間は、もっぱら朝。

もうどうしようもなく、早起きしちゃう日、あるじゃないですか。楽しみなイベントの前とか。

よく分からんのですけど、僕、それ毎日で。

楽しいことがあってもなくても、だいたい一回起きちゃう、5時前後に笑。

でもその早起きを、およそ30年という歳月をかけて、だいぶ武器にできるようになってきた、という話です。

朝一番に音楽やることのメリットは、気持ちがニュートラルなこと。

ほら、仕事で躓いた日の帰り道に、ハートフルな曲が心に沁みたりすること、あるじゃないですか。

あーいうのが全然なくて、

音楽を、より冷静に音楽として捉えられる

みたいなモードに入れるんです。

もうバリバリ捗る。空腹以外何も邪魔するものがない感じ。けっこうお腹は空きます

あと、「時間に限りがある」のも良いところ。

最近気がついたけど、このマインドは自分にとって非常に大切で、

朝の身支度まで、とかリミットがあるほうが、だらだらしない(し、納期を感じることでプロっぽい気分にもなれます。笑)

やるべきことにエネルギーをぐっと向けられるんですね。

最近は朝もあったかくて、気持ちいい感じになってきたので、

より有効に、この時間をつかっていきたいですね☆

なにこの健全な記事。笑

みなさん今週もお疲れさまでした。

それでは今日はこの辺で。

とにかく書く、頑なに書く

ここ最近、ネットではClubhouseの話で持ちきりですね。

いわゆる音声SNS。人と会うのが少しだけ難しくなった今だからこそ、需要があるのかな。

Clubhouseが招待制のSNSと聞いて、真っ先にmixiを思い出したのは僕だけではないはず。

流行った当時は大学生で、

とにかくたくさん日記を書いて、みんなと日常を共有していたっけ。

たくさんの書き言葉の中に、青春を刻んでいたような感覚でしたね。

そう、書き言葉。

mixiの後にも、流行りに身を任せて様々なSNSを渡り歩いたけれど、

発信する術はずっと「(際限なくカジュアルではあれど)書き言葉」だった。

それを考えると、オンラインコミュニケーションの時代は、また大きく前に進もうとしているんだな、と感じるし、

書き言葉の時代を、存分に生きることができて幸せだったな、とも思う。

「話すこと」とは違って

「書くこと」は時間がかかる。

たくさん書いても、消してしまうことすらある。

でも、書くことにかかった時間は、

書いたものを、書いた自分自身を見つめ直した時間でもある。

その時間は、話すことでは得られにくい。

書き言葉は、話し言葉にスピード感で劣る代わりに、少しだけ人生を贅沢にしてくれるのだ。

だから、僕はまだまだブログを書く。

とにかく書く。頑なに書く。

話すことに夢中になるのもたまにはいいけれど、

書いて伝えることも、同じくらい大事なんじゃないかなと思いませんか?

ところで、Clubhouse始めたんですけど友達になりませんk

もう節分!はやいな!

それでは今日はこの辺で。

a kid I like

今日みたいに外がほのかにあったかいと、駅からの帰り道もブログが書けるから喜ばしい。

給食の白玉雑煮が大盛で、あんなに満腹になったのに、また空いている自分のお腹が腹立たしい。

現実に満足していない人が、それを変えていくという選択肢から離れ、あたかも真理を手にしたかのように突き進んでいるけれど、実際はよりミクロな現実へ陥ってしまっただけのように見えるのが、どことなく哀しい。

急にマイナンバーカード作りたい欲が出てきて、今まであんなに面倒くさいと思っていた手続きが、やはり面倒くさいんだけどちょっと楽しい。

喜怒哀楽、全部、僕。

仲良く家に帰っている。

分岐点

「言葉は生き物」とはよく言ったものだけど、

自分の使ってきた言葉が、新しいフレーズに置き換わっていく過程を見るのは、なんとなく切ない。

さらば…センター試験(笑

センター、とか言ってたもんなー

すっごいド真ん中な感じの響きだったんだよなー

忘れもしない、僕のセンター試験。

数ⅠA、確率の大問

最初の分母を問う問題で、

2の3乗を「6」と回答し、以下全滅。

こうして僕はこの世界線に迷い込んだ。笑

もしもあのとき、2の3乗を8と回答していたら、

違う大学に行って、違う仕事をしていたのだろうか?

コロナとか無かったのかな?

音楽とどう向き合っているんだろう?

男子が2人以上いる学科だったのかな?

家族とかいるのかな?

ときどき、こんなふうに想像を巡らしたりもする。

でも、僕が大問ひとつ落としてまで転がり込んだこの世界も、けっこう素晴らしいので、

未練はない。

こっちにはこっちのいい感じの輝きがあるし、

糖質が0のビールとかが開発されていたりする。

(今朝資源ごみ出したらこの缶ばっかでビビった。笑)

まぁ、何にせよ、人生は選択の連続だよね!

あと、洗濯の連続でもあるよね。

面倒くさいこともあるし、

靴下の片方しょっちゅうどっか行くけど、

その都度、自分が選んでいるものや、洗っているものを肯定しながら、

干したり取り込んだり畳んだりしたいものです。

いや、ホントに靴下の片方ありえんくらいどっか行くけど。

それでは今日はこの辺で。

余白という名のスケジュール

子どもの頃は、あんなにゲームやおもちゃを欲しがっていたのに、大人になるとそんなものには見向きもしなくなって、代わりにアレが欲しくなるんですよね。アレですよアレ。みなさん「せーの」に続けて言ってくださいね、せーのっ

有能な秘書

。(あれ?)

両手から溢れそうな仕事のプランニングから、気が進まない歯医者の予約まで、なんでもこなしてくれる、有能な秘書。

20代の欲しいものランキングで常に上位に入っていてほしいランキング(独自)では連続で1位を獲得したこともある、有能な秘書。

でも、もう少し大人になると、

秘書は雇うもの

という衝撃の事実に気づくんですよね。

僕もそうでした。

そこから、僕の手帳ライフが始まったのです。

(以上、前置き)

デジタル機器も好きだけど、手帳だけは手書きを選んでしまうアナログ派の方、いらっしゃいますか?僕がそうなんですけど。えぇ、同じですか。今度リモート飲み会(音声のみ)しますか。あ、結構ですか。

僕自身の手帳遍歴としては、

最初はモレスキンを数年、

そこからトライストラムスを数年、

って感じなんですけど、

ついに今年、ネタが尽きてしまい、手帳難民に。。。

個人的には、びっしり書けるものより余白が目立つほうが、見たときに余裕を感じるから好き笑。

あと欲を言うなら、後から見返したときのログとしての機能もあると嬉しい。あぁこの日はこの仕事してたんだなとか、こんな資料読んでたんだな、とか。

それから、五線譜のページも欲しい。パッと思いついたフレーズって、恐ろしいくらい忘れるから笑。

まぁそんなことを挙げ連ねていけばいくほど、

そんな手帳ない

という現実にぶつかるわけでして。

脳内会議(もちろん密を避けるためリモートです)を重ねた結果、今年からはシステム手帳を採用し、中身は自分で作ることにしました。

素晴らしい。これなら全てが自分の思い通りだ。。。

この手帳に、ほどほどの量のスケジュールが肩を並べるような、そんな素敵な年になりますように。

では、今日はこの辺dご挨拶忘れてました。

新年あけまして、、

おめでとうございます!