ノートに書けない学ビゲーション

 この投稿は、SpotifyのPodcast『Life’s like the street』で配信したエピソードをもとに再構成したものです。お時間がある方は、ぜひ本編もお楽しみください。

仕事の中の学び方

 仕事をしていると、知識やスキルの習得が、だいたい失敗から始まっているな、と感じることがある。

 やってみて、できなくて。できなかった理由を人から指摘されたり、自分で振り返ったりして。で、またやってみると、少しずつできるようになっていく。その繰り返し。

 もちろんマニュアルを読んで理解できることもあるけれど、結局のところ、実際に手を動かしてみないとわからないことが多い。机上の理解より、腹落ちするタイプの理解。そこに“学びの実感”がある気がする。

 この学び方には、「経験学習モデル」という名前がついているらしい。これは心理学者のデイビッド・コルブが提唱したもので、

経験→省察→概念化→実践

というサイクルを回すことで、人は成長していくという考え方だ。例えば、

経験:仕事で任されたプレゼンがうまくいかなかった。
省察・概念化:自分の振る舞いを振り返り、なぜ伝わらなかったのかを考える。
実践:次の機会に、改善点を意識してやってみる。

というように、一つひとつの経験を糧にしていく。これが経験学習のサイクルなのだそうだ。

 よくよく考えてみると、このサイクルは、仕事に限らず、趣味や暮らしの営みの中にもあふれているように思える。
 料理でも、子育てでも、最初はうまくいかないことが多い(自分だけ?違うよね…)。でも、失敗した理由を探って、工夫を考える。それをやってみて、また考える。ほら、なんとなくサイクルっぽく見えてきたでしょ?笑
 つまり、生活そのものが経験学習のフィールドになっているのだ。「できない」から始まる成長の物語とでも言えばいいだろうか。そんな経験学習の物語はすぐそこにあって、誰にでも開かれているのだろう。

○いつも、ここから、自分から学ぶために

 僕らの世代が学校で習ってきた「学び」は、経験学習とはちょっと違うスタイルだった記憶がある。
 どちらかというと「知識を先に覚えて、あとで使う」タイプの学び。黒板を写して、テストで問われる。ノートにきれいにまとまっていれば、なんとなく理解した気になれる——そんな学び方である。それはそれで自分には合っていたのだけど。

 最近は、公立の学校でもアクティブラーニングが導入されて、子どもたちが「経験を通して学ぶ」ことも少しずつ一般化してきているようだ。

 ただ一方で、先生たちの負担は大きくなっている。これまでの学びと比べた時の評価の難しさ、授業準備の時間、そして「学びの場をどう広げるか」などといった課題があるからだ。

 先ほども言ったように、経験学習の舞台は、学校だけではなく、家庭や地域にもある。子どもが家で料理を手伝う、地域の行事に関わる、そんな日常の中にこそ経験学習の種がたくさんあるのだ。
 そして、そうであるなら、そのフィールドで学びの担い手となるのは、そこにいる家族や地域の大人であると考えるのが自然だけど…現実には、その機能の多くを学校が担わざるをえない状況がある。
 それは先生たちにとってはやりがいなのかもしれないけれど、やっぱり大変なのだろうな、と感じる。

 だからこそ、というわけではないけれど、僕は、自分自身が「経験学習を支える大人」でありたいと思っている。子どもたちに「失敗しても大丈夫!」「そこから考えよう〜」と伝えられる存在。かっこいいよね。笑

 そして、自分自身も、日々の仕事や暮らしを学びに変えられる人でいたい。経験学習は、特別な才能や教材がなくてもできる、「誰にでも開かれた学び方」なのだから。

 子どもたちの前で大人が、日常の中にある学びへ向かう姿を見せること——それが、ノートには書けない、でも確かに残る授業になるかもしれない。

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